悟りとニョーグン

 

スピリチュアルな世界で出てくる言葉「悟り」

そもそも「悟り」って何でしょうか?

それってビジネスに役に立つの?

今回はそんなお話になります。

 

今回のテーマは「悟り」です。

既に知っている人もいるかもしれないですが、この記事にも書いているように
自営業者が副業でアフィリエイトをはじめた物語

 

僕は過去に(まだアフィリエイトをやる前)無料ブログでスピリチュアルの中でも「悟り系」というジャンルで数年間、ブログを毎日更新してきたという経歴があります。

 

なので今回テーマにする「悟り」に関しても、今までいろいろな角度から散々書いてきました。

 

今回、そういう意味でも僕的にまとめとして書いてみようと思います。

「ビジネスと悟りって関係あるの?」

と思われるかもしれないですが、全く関係ないとも言い切れないんです。

 

というのも、ビジネスにしろスピリチュアルにしろ心理学にしろ、ある視点から見れば全て繋がっているからです。

 

理由は、人間は最終的には「幸せ」を目指しているからです。

 

幸せの定義は一言では説明できませんが、登山で例えるなら頂上が幸せで、そこに至るルートが複数あるようなイメージになります。

 

お金があれば幸せになれるのか?
と言えば一概にそうでもありません。

 

逆に精神的に満たされれば、お金が無くても幸せになれるか?
と言うのも一概にそうでもないです。

 

そういう意味でも、こうしたスピリチュアルという知識も決して無駄ではないと思います。

 

ある視点から言えば、人生において無駄なことはありません。

 

人生が一つの旅行だとするなら、一見クソのような経験も、あなたの人生旅行の「思い出」の一つという事になります。

 

そもそも悟りって何?

 

「あの人は悟っているな。」

という事を言ったりしますが、そもそも「悟り」とはどういう意味でしょうか?

 

まず、有名どころのウィキペディアによれば、

 

 悟り(さとり、梵: bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること。

覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。

仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる。

日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する。

引用元: Wikipedia悟り

 

「真理を体得する事」とありますね。
では、その「真理」について調べてみました。

 

真理(しんり、羅: veritas、英: truth、仏: vérité、独: Wahrheit)とは、

確実な根拠によって本当であると認められたこと。

ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。真実とも。

真理は、現実や事実と異なり、妨害・障害としての虚偽・誤謬を対義語としており、露わさ、明らかさ、隠れなさに重点がある。

そのものありのままであり、あらわであり、その本質が覆われていない、という意義に関しては、哲学的には本質主義や同一性とも関わりが深い。

西欧哲学において真理論は論理学や認識論においてとりわけ主題化される。

人間を自由にするものとしての真理が説かれることもある。

キリスト教では「真理はあなたたちを自由にする 」と説かれている。

仏教では、人間を苦しみから解放する真理をあらわす「法」が説かれる。

引用元: Wikipedia真理

 

 

真理とは、「人間を自由にするもの」「人間を苦しみから解放する」と説明があります。
これに関しては、僕的にはあえて「一部」という文字を付け加えさせてもらいます。

 

というのも、人間は生きている時点で完全に苦しみから解放されて自由な人なんていないと僕は思っています。

 

理由は、完全に自由で苦しみがないなら、人間として存在する意味がないからです。

 

これは仏陀のこの言葉にも現れています。

 

「この世は苦だ」

 

ここでの「苦」の意味は、「うう~苦しいよ~」という意味ではなく、「思い通りにならない」という意味になります。

 

悟りの段階とは?

 

よく悟りの世界では、

「あなたは悟りの何々段階です。」

という会話が交わされています。

 

簡単に言えば、そろばん何級、柔道何段みたいなノリですね。
そして中にはこんなやり取りもあって、

「あなたはまだ悟っていません!」

「私は一昨日遂に悟りました!」

という認可制度や、自己申告パターンもよくあります。

 

これについて僕が思う事は、

「それって誰が決めたルールなの?」

という事です。

 

さっき出たそろばんや柔道なら分かります。
それぞれ段階に応じた基準があり、目でも確認できる事ですからね。

 

でも悟りって何基準なのか、誰基準なのか分からなくないですか?

 

例えばインドのどこかの聖者が悟りの基準を決めているとして、その聖者の言っている事が絶対的に「正しい」と、誰が証明できるんでしょうか?

 

百歩譲って、どこかの偉い神様が悟りの基準を決めたとして、その神様が絶対的に正しいと言えるのか?

 

仮に神が全知全能であらゆる力があるなら、この世界からはとっくに争いや環境問題、貧困、差別という問題が解決しているはずだと思います。

 

そもそも絶対的な正しさなんて存在するのか?
という疑問が出てきます。

 

悟りと視点

 

過去の話ですが、僕がこういう記事を書いていると、当然のブログのコメント欄で批判されるという事もよくありました。なんなら炎上の経験もしましたね。笑

 

今回こういうテーマなので、もちろんその辺りも覚悟の上で書いています。
そして批判的なコメントに対しての僕の返答は、いつも決まっています。

 

「あなたが正しいです。」

 

こういうテーマにおいて、誰が正しいなんてものはありません。

 

それぞれがそれぞれの視点、価値観で語っているだけです。
そこに正解を求めて議論するだけ時間の無駄です。

 

「暇潰し」という名目ならアリだと思いますが。笑

 

では、話を戻しまして。
悟りとは視点によって「ある」とも言えるし、「ない」とも言えます。

 

さっき説明したように、誰かの作ったルール、概念という名目でならあると思います。

 

また別の視点から言えば、この世は全て「状態」しかないとも言えます。
ただの状態に、人間がそれぞれ「いい悪い」と、意味や価値をつけます。

 

般若心経で「色即是空」という言葉があります。

 

これは「空」という文字がニュートラル(ただの状態)を意味し、「色」が人間の意味や価値を付けるという意味を指しています。

 

例えばコップに水が半分入っていたとして、

「半分しか入ってない」

「半分も入っている」

状態はニュートラルで、「コップに水が半分入っている」という事実があるだけです。

 

その状態に人間が色を付けているという事になります。
ただ、この視点はあくまでも「視点の一つ」です。

 

人間が常にこの視点で生きたら、正直かなりヤバいやつになります。笑

 

例えば目の前に大切な家族が血を流して倒れていても、

「ただの肉の塊が血液という体液を流して倒れている、、、」

というなんとも人間味のない視点になります。

 

ニュートラルというのは一見良さそうに感じますが、苦しみがなくなる分、喜びもなくなり人間らしさも失います。

 

この世は二元性の世界ですからね。
二元性に関しての関連記事→この世の仕組みと二元性

 

やはりこの世界を生きていくには、喜怒哀楽がある人のほうが人間らしくて僕は好きです。

 

あまりに悟りというものに傾倒し、達観したような人って凄いのかもしれないですけど、僕は正直もう関わりたくはないですね。

 

悟りによく出てくる言葉たち

 

悟り系の本やそれを生業にしている人のブログなどを読んでいると、こうした言葉がよく登場します。

 

  • (人生は)全て決まっている。
  • 全ては幻想である。

 

まず1つ目の「全て決まっている」というのは、あなたの生まれて死ぬまでの全ては決まっているというものです。

 

分かりやすく言えば、人生は映画のようなもので、上映するフィルムは既に完成していて、あなたは観る(体験する)だけという意味です。

 

あなたの行動も感情も思考も全て決まっているという事。

 

これは漫画「バガボンド」でも同じセリフが出てきますが、

「全て決まっていてそれでいて自由」

これを聞いた主人公の宮本武蔵が、

「全て決まっているのになんで自由なんだよ!?」

と怒るシーンがあります。

 

まあ言葉が矛盾してますから怒るのも当然ですよね。

 

この「自由」の意味は、全て決まっているけど(先の展開は)わからないという事です。

 

なのでこの「全て決まっている」という言葉は、この世界では全く意味の無いものになります。

 

もう一つの「全ては幻想」という言葉は、この現実と呼ばれる世界や、私たちの存在そのものが幻のようなものであり、本来は個というものはないという意味になります。

 

これは以前にも説明した、「非二元」に関係する話になります。

 

この話も仮にそうだとしても、今現在人間として存在している以上、どうしようもないというかしょうもない話になります。

 

この「全て決まっている」、「全て幻想」どちらも仮にその話が正しいとしても、それを証明する事は誰にもできません。

 

逆に「間違っている」としても、それを証明できません。
いわゆるソクラテスの言う無知の知、「分からない事が分かった」というやつです。

 

で結局悟りって何なの?

 

よくテスト勉強している人に限って、

「やべ~テスト勉強全然してないわ!」

と言います。

 

よくリア充じゃない人に限って、SNSなどでリア充アピールをします。

 

よく幸せじゃない人に限って、

「私には幸しか起きないわ~!」

と幸せアピールをします。

 

僕自身、過去に数年間いわゆる「悟った人」と自称する人のブログを見て観察してきました。

 

そこで思った結論は、

「悟ってる人ほど悟っていると他人にアピールしない」

という事でした。

 

「私は悟っています!」

 

とアピールして講演会や本を出版している人は、悟りに関しての知識が豊富で、それを説明しているだけの人です。

 

ようは悟りのマニアです。

 

仮に悟りというものがあるとして、本当の意味で悟っている人は表には出てこないと僕は思います。
理由は自己顕示欲がないからです。

 

悟りとは、別にどこかのお寺の偉いお坊さんとかが苦行して得られるものではなく、私たちの日常生活の中で同じように生きている人だと思います。

 

悟りとは特別ななにかではないという事。

 

悟りとビジネスのまとめ

 

結局のところ、今言える事は「悟り」という概念に縛られずに、たとえ人生が全て決まっていようと、この世が幻想だろうと、目の前の今を一生懸命生きるだけという事になります。

 

アフィリエイトで言えば、より読者に喜んでもらえる記事を書く。
購入者にはより結果を出してもらえるように、価値のある特典を作成する、サポートする。

 

という事を、愚直に積み重ねていくだけだと僕は思います。

 

今回の記事はなんだかんだで長くなってしまいましたね。笑
ここまで読んでいてくれていたらありがとうございます。

 

あくまでも、僕というフィルターを通しての「悟り」について書いてみました。

 

 

 

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